*この記事はnoteにも掲載しています。
先週の日曜日、カクワカ広島のメンバーは広島市内にある広島朝鮮初中高級学校(以下、朝鮮学校)を訪れました。数ヶ月前にメンバーの一人が、権鉉基(コン・ヒョンギ)さんと出会ったのがきっかけで今回の訪問が実現しました。
参加したメンバーは全員朝鮮学校に行くのが初めてでした。この日は授業参観日ということで、保護者の方や地域の人々に向けて学校が開放され、授業の様子を見て回ったり、校内を見学させてもらったりすることができる貴重な日でした。
学校に着くと、まず副校長先生からお話しを伺うことができました。1946年に今の朝鮮学校の前身となる広島朝鮮初級学校が大竹市内で開校され、それ以降場所や形を変えながらも広島で教育を行ってきました。幼稚園から高校まで、多いときは400名ほどいた生徒も、現在では97名にまで減っているそうです。理由は様々ですが、その一つに朝鮮学校が高校授業料無償化の対象外であることが挙げられます。授業料に加え、県外からの学生は寮に住む必要があり、さらに負担を抱えることは難しい家庭が多いのが現状です。また、日本政府によるコロナ禍における学生への支援給付金も朝鮮学校は除外されており、これに対し国連人権理事会は「社会的少数者の教育機会を脅かし、人種や民族に基づく差別にあたるおそれがある」として是正を求めましたが、国や広島県は「差別にはあたらない」と主張しています。
副校長先生のお話の中で、以下の部分が特に印象的でした。
「朝鮮学校は、よく『閉鎖的』だと言われることがあるが、むしろ遠くの存在にさせられてしまっていると感じる。私たちはいつでもこうしてお会いしたいと思っているのでぜひ訪れてほしい。」
その言葉を聞きながら、国や県の姿勢に疑問しか感じないのと同時に、遠くの存在にしてしまっている自分自身のことも強く感じました。
その後、幼稚園から小中高と順に授業の様子を見学させていただきました。保護者の方が沢山いらっしゃっていて、生徒たちも少し落ち着かない様子でしたが、授業や廊下の風景は私たちにとってもどこか懐かしく映りました。学校外では日本語で生活しますが、授業は日本語の授業以外すべて朝鮮語で行われており、「国語」はもちろん朝鮮語です。掲示物や教室のサインもハングルで書かれています(ハングル勉強中の筆者は、写真を撮りまくっていました)。
小学校のある教室に入ったとき、日本語で書かれた作文が壁に貼ってありました。『将来の夢』や『大人は自由でずるい』など、さまざまなテーマで書かれた文章が並ぶ中、次の一文から始まる作文に目が釘付けになりました。
"日本のみなさんの中には朝鮮人に対して良いイメージをもつ人は少ないと思います。"
『国が仲良くなる方法』というタイトルがついたその作文では、通学中のバスでお年寄りに席を譲ろうとしたとき、喜んでくれるかな、という気持ちと、朝鮮人だと相手が知ったらどう思うだろう、という2つの気持ちの葛藤があることが打ち明けられていました。文章は、「でもそこでこわがって何もしなかったら、何も変わらないと思います」と続きます。「ほうほうはたくさんある」「お互いが仲良くなるために自分なりの努力をつづけていきたい」ーーー 最後まで読み終えたとき、私たちの生きる社会はこんな社会なんだということを突きつけられました。私が小学生のときには決して書かずに済んだ、考えずに済んだ経験と感情がそこにありました。
広島の朝鮮学校では、4年前に初めて保健室が常設されたということも聞きました。それまでは怪我をしたり体調が悪くなったりした生徒がいても、主に担任の先生が気にかけて見るだけに留まっていたそうです。朝鮮学校で育った親世代も保健室の必要性をきちんと認識していないというのが現状でした。そもそもなぜこれまで保健室がなかったのかというと、朝鮮学校に限らず外国人学校には保健室の設置を義務付ける法律が適用されないからです。それに加え、前述のように公的な支援が見送られている朝鮮学校では、保健室の設置や人材の確保が後回しにされてしまっていました。学校関係者や周囲の理解と努力でやっと実現した保健室の設置ですが、そういった状況に左右されず、すべての子どもの安全と健康が等しく守られる環境をつくっていくことが必要ではないでしょうか。
授業参観を一通り終えると、学校を案内してくれた権さんが、民族教育の歴史と現状についてのレクチャーをしてくださいました。
「民族教育」についてですが、以下のように定義されています。
民族教育とは
文化をともにする集団としての民族の構成員に、みずからの経済的・社会的・文化的発展を自主的に追求できる態度・能力を育てる教育。ナショナリズムの教育に近いが、これは近代国家の国民の教育を指しており、国民教育と民族教育とは必ずしも一致しない。例えば日本では両者は一致していると思われがちだが、国民としての日本人にはアイヌ民族なども含まれ、一致はしていない。また民族教育の語は植民地・半植民地の民族や少数民族の独立と開放のための教育を指すことが多く、これら諸民族の抵抗意識や開放への願望がこの語にこめられることが多い。
出典:株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版
1910年の韓国併合。文化を奪われ、強制的に日本人にさせられていった歴史。日本の敗戦後、植民地ではなくなったあとも、勝手な都合で祖国は南北に分断され、韓国政府からも手を差し伸べられず、さまざまな理由で日本に留まらざるを得なかった人々。100年以上に及ぶ歴史の中で日本と朝鮮半島の間に何が起こったのかを知っていくと、今ニュースで飛び交う「北朝鮮が、、」「為政者が、、」という言葉では削ぎ落とされてしまっている側面が次々と見えてきました。
権さんは、朝鮮学校はそこに通う誰もが安全安心を感じられる場所であり、ひいては日本の人たちにとっても多様な社会をつくるために必要な場所であるはずだと仰っていました。実際に現場を訪れリアリティを感じることの大切さを改めて知った私たちは、その言葉に深く共感します。自らの意思で自分たちの言葉や文化を捨てたわけではない人たちが、時を経てまたその文化を大切にできる場所を大切にしたい、守りたいと願うこと、そしてそれを周りの人々に邪魔されないことは、当然のことではないでしょうか。国や県が、日本に住む人々の安心できる暮らしや教育の機会を奪い、ヘイトにお墨付きを与え続けてきた状況を私たちは変えないといけない。朝鮮学校を訪れて、心からそう感じました。
朝鮮学校訪問を企画してくださった権さん、ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。知らなかったことが本当にたくさんありました。今回の朝鮮学校訪問で見たこと、感じたことを周りの人に伝え、さらに自分の中でも学びを深めていきたいと思います。また、今後もイベントを企画するなど、交流を繋げていく予定です。これを今読んでくださっている方にも、お近くの朝鮮学校を訪れ、その歴史についてもっと知ってほしいです。私たちの社会の中に無意識に存在する偏見、差別、攻撃に抗うために。今いる場所から、私たちも自分なりの努力をつづけていきましょう。
*朝鮮学校を訪問される場合は、事前に学校までご連絡をお願いいたします。